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遺品整理を振り返って思うこと

日本の自動車産業では、自動車の資源回収に関心を持たないまま、乗用車の軽量化か進められてきた。
リサイクル市場における屑鉄価格の下落と円高による輸入増が、この傾向に拍車をかけた。
一九八〇年には一トンあたり三万円だった屑鉄が、九三年には一万五〇〇〇円を割ろうとしている。
一九六五年の部品再利用率を1〇〇とすると、九〇年代では一五%に低下した。
一九八五年に比べて、部品の平均輸出価格も三分の一に低落している(以下、八幡自動車処理協同組合におけるインタビューより)。
屑鉄や非鉄金属(アルミニウム、触媒用白金など)以外のリサイクル困難なダストの発生量は、過去一〇年間に三倍近くに増えている。
その大半がプラスティック系の有害廃棄物である。
燃やせば、猛毒のダイオキシンを排出する。
タイヤやシートも、野焼きすれば煙害だけではすまない有害物である。
近隣の土壌に対するエンジンオイルの油害や、エアコンからでるフロンガスの害も無視できない。
なにより、働く人の労働環境が著しく悪い。
この地域の廃車解体処理事業は、一九六〇年代に零細企業として急増して以来、古タイヤの野焼きによる煙害が大きな社会問題となった。
そのため、一九七三年には地域の七七業者が四四五四平方メートルの共同作業地を確保し、八幡自動車解体事業協同組合を設立して、その対策に乗り出した。
しかし、石油ショック後の不況のため、一時解散を余儀なくされた。
だが一九七七年には八幡自動車処理事業協同組合として再建し、関連団体と共同で八幡自動車解体公害防止協議会を結成した。
このとき、メーカーを代表する日本自動車工業会にも、協議会への参加を呼びかけたが、賛同してもらえなかった。
八幡市は、一九七八年に八幡市立環境保全センターを設置し、煙害の出ない焼却炉を完成して、翌七九年より八幡自動車処理事業協同組合に委託し、廃タイヤ、廃シーツなどの焼却処理を始めた。
そして同協議会は保全センターの運営経費を出すため、廃車の売り手と買い手から、普通車の場合八〇〇円ずつ拠出する利用券制度を始めた。
それが今日まで続いている。
しかし、近隣の職場より見劣りする労働環境に『ポンコツ街道』というような差別的な呼称も加わり、地域住民の若年層の労働力を、この被差別部落の生業から遠ざけがちである。
住民の教育水準が向上すると、自動車解体産業の就業者を確保することが困難になる。
近年では。
その隙間を埋めるようにして、国道一号線近くの解体業集積地帯に、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国からの出稼ぎ労働者が増加した。
その多くは、中古自動車部品の輸出用検査を名目としている。
私か出会った出稼ぎ労働者の国籍だけでも、韓国、中国、香港、フィリピン、タイ、マレーシア、バングラデシュ、ネパール、インド、スリランカ、パキスタン、イラン、シリア、レバノン、カメルーン、ナイジェリア、メキシコ、ジャマイカと多岐にわたる。
自動車解休業が、多民族の外国人労働者をかかえるに至ったのである。
多くの外国人労働者は、隣接地域でアパートを借り、六畳の部屋に数名の同国人が共同生活し、昼間は工場の奥で人目につかぬように働いている。
外出はなるべく早朝が日没後にするよう心がけている。
「交番や警察官を見かけると、避けて歩く習慣がつきました」と話してくれた超過滞在の外国人労働者もいる。
国際電話が可能な公衆電話の前には、夜になると行列ができる。
地区内の公衆浴場では、外国人のほうか日本人より多い時間帯もある。
地方都市に珍しくK信用金庫の支店のなかで、最初に海外送金用の外為業務をおこなったのは八幡市である。
自動車のホイールを主要製品としているM株式会社八幡工場のような大手企業では、約一五〇名のラテンアメリカ系外国人労働者(元日本人の実子とその子ども)が、雇用されている。
公然と就労できる彼らにとっても労働条件は厳しく、一九九一年四月二四日に苛酷な労働災害のため、工場の幹部が書類送検されたほどである(『京都新聞』一九九一年四月二五日)。
日本の経済界でも国際市場でも、自動車を製造する人、販売する人、運転する人の話題は尽きない。
国際競争力の強い基幹産業であるうえに、国内の主要な交通手段であるため、通産行政、運輸行政、建設行政、警察行政、自治体行政などの関心も高い。
だが、その自動車を解体する人の姿が見えないのはなぜか。
解体する人の労苦を、語ろうとしないのはなぜだろうか。
たまたま私はシンハラ語を話すことができるので、八幡市を訪ねる機会かあるときは、努めてスリランカ人にインタビューを試みた。
その総数は、四〇名をこえる。
どういうわけがスリランカ人のなかでも、シンハラ人とマラカラム人(イスラム教徒)がほとんどであり、タミル人にはひとりも出会わなかった。
滞在そのものが違法である人が多いため、入管や警察の依頼を受けて、聴き取り調査をおこなっているのではないかと不審がられる。
せっかくインタビューに応じてもらっても、明らかに作り話にすぎないとわかることもある。
自動車解体業における外国人労働者は、圧倒的に男性である。
スリランカ人労働者の多くは、中古部品輸出を名目としている。
見知らぬ人に質問を受ければ、[私は中古車バイヤーで、輸出商品の検査をしています]と答える。
事実、スリランカの路上を走行する自動車の九割以上が日本製であり、しかもその大半は中古車である。
一九八〇年代半ばからスリランカ政府も、走行期間や走行距離が長い中古車の輸入を制限したので、八幡からの輸出は困難である。
それでも、日本の中古車輸出業者から来日を求める手紙をもらい、三ヵ月の短期滞在ピザで入国する人も、三分の一くらいはいる。
滞日中に三ヵ月の在留期間延長をする。
半年間働いたのち、一度帰国して改めて同じ手続きをとって、来日をくり返す。
八幡で働いているスリランカ労働者の出身地は、首都コロンボの北東に位置するクルネーゲラ地方と、その西隣のミーガムワ地方とに偏っている。
この両地区では自動車関連産業が。
特別に発達しているわけではない。
最初に八幡に来た中古自動車のブローカーが、たまたまクルネーゲラ地方の出身であり、徐々に在日スリランカ人労働者のなかから、同じ出身地の知人・友人を頼って八幡に集まってきた、という話である。
自動車解体処理の仕事は、決してやさしくない。
エンジンオイルで油まみれになる。
車体の解体作業や重い部品を運搬に際して、怪我をしたりする労働災害の危険もある。
それでも、スリランカの労働現場よりも働きやすい、という声もあった。
過酷な労働だけに賃金水準は高く、一日八時間労働で一万円前後、残業をすれば「五万円にもなる。
他方、生活費は極力切りつめる。
1DKのアパートに八人が住み、共同で炊事している事例がある。
ほとんど外出しないので、一ヵ月の生計費は二万円をこえない、と答えた労働者もいる。
私の面接調査に応じてくれた在日スリランカ人のなかには、イラクやアラブ首長国連邦などへの出稼ぎ経験をもつ労働者もいる。
日本で就労できる在留資格がないことを厭知しているため、訪日当初は職場の外へ出ないように努める、警官に会えば身をひそめ、極力他人と口をきかないように心がけるなど、心理的に窮迫した状況にある。

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